『浦波』(艦隊これくしょん)の動画を楽しもう!

 

No.286 浦波(うらなみ) 吹雪型 10番艦 駆逐艦 声優:上坂すみれ
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久 火力 装甲 雷装 回避 対空 搭載
15 10 / 29 5 / 19 27 / 69 42 / 84 10 / 39 0
対潜 速力 索敵 射程 燃料 弾薬
20 / 49 高速 5 / 19 14 / 54 15 20
図鑑説明
吹雪型駆逐艦十番艦、特改I型、浦波です。
佐世保生まれです。
磯波姉さんや、綾波、敷波と共に、第十九駆逐隊を編成しました。
緒戦からミッドウェー、南方へも出動しました。
第十九駆逐隊……覚えていてくださいね。

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ゲームにおいて (説明はWikipediaより)

2016/9/16アップデートで新規実装。

運営ツイートによると2-4以降の複数の海域でドロップするとのこと。

同時に追加された任務『「第十九駆逐隊」を編成せよ!』、『「第十九駆逐隊」出撃せよ!』、『「第十九駆逐隊」敵主力に突入せよ!』では本艦が必要。

2016年11月04日メンテで追加された任務輸送作戦を成功させ、帰還せよ!においても本艦(浦波改)が必須。

また、精鋭「第十六戦隊」を再編成せよ!,精鋭「第十六戦隊」突入せよ!でも選択ではあるが浦波改が指定されている。

通常海域における新規実装は2014年12月26日の山雲以来、1年9か月ぶり。

吹雪型の新規実装は本艦が初。

初期装備のひとつ61cm三連装魚雷はコモン装備だが、駆逐艦ネームシップの吹雪、綾波、暁、初春を除くと、レベル1で持参する初の艦。

しばふ氏がイラストを担当した艦娘では、初めて通常の中破グラフィックが差分ではない艦娘である。(期間限定を含めると伊401が最初)

2017/01/25のアップデートで、季節限定グラフィックの節分modeが実装された。

鬼役が二水戦旗艦と聞いて躊躇っているが、結局豆を投げつけようとしてるのだろうか?

どうなっても知らないぞ…

2017年9月15日に公開された運営Twitterのアイコンが、本艦の観艦式modeに変更された。

先に公開された磯波の観艦式modeはデジタル一眼レフカメラを持っているのに対し、浦波はコンパクトデジタルカメラを持っている。

同年9月29日に実装。

カメラのモデルはソニーのヒット商品、「Cyber-shot DSC-RX100」系と思われる。

いいの持ってんじゃんかよ

2018年2月17日、冬イベント開始と同時に、【エンガノ岬決戦】差分modeが実装された。

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小ネタ (説明はWikipediaより)

吹雪型10番艦。

神風型・睦月型・吹雪型等といった当時の日本駆逐艦は、1928年8月1日まで『第○○号駆逐艦』という番号名であった。

浦波も例に漏れず「第44号駆逐艦」の名があった。

当初は特II型(綾波型)として建造される予定だったが、建造中の1927年に開催されたジュネーブ海軍軍縮会議の進行内容を受けて、浦波も他の特II型とともに竣工予定日を繰り上げられた。

しかし竣工を急いだため特II型用の三年式12.7cm連装砲B型が足りなくなり、急遽ストックのあったA型連装砲が搭載された。

そのため浦波は「改特I型」「特IA型」などと呼称される、特II型の艦体に特I型の武装と艦橋を備えたデビルマン折衷的な艦として生を受けたのである。

浦波の建造に大きな影響を与えたジュネーブ海軍軍縮会議はワシントン軍縮条約で規制対象外であった補助艦の制限をどうするかが大きな争点となった会議だったが、補助艦制限に関してはアメリカの意見(艦種ごと一律にトン数制限を設けるべき)とイギリスの意見(大型巡にだけ制限を設けて、小型巡以下は自由にすべき)の相違からご破算となり、補助艦制限問題は3年後のロンドン軍縮条約まで持ち越されることとなった。

上記のような経緯からか、服装も両者の折衷のようになっており、セーラー服とスカートの色は特Ⅰ型のものだがリボンの色は特Ⅱ型の綾波・敷波に合わせて茶色となっている。

竣工は1929年6月30日。

奇しくも長姉磯波の丁度1年後であり、番号通りの10番目であった。

なおこの1日前、浦賀船渠で深雪が竣工している。

そして同年11月30日、磯波とともに第19駆逐隊を編成。

第2水雷戦隊隷下となる。

磯波は一度第20駆逐隊へ転出したことがあるが、浦波は1944年10月10日の解隊まで移籍することはなかった。

隊の歴史は彼女の歴史そのものなのだ。

日華事変、そしてミッドウェー海戦において、僚艦磯波と2度もごっつんこしたことがある。

第3次ソロモン海戦第2夜戦には19駆司令艦として参加。

サボ島付近の捜索のため、敷波と川内の先頭に立ち、綾波と二手に別れて向かった。

そこで図らずも綾波の大奮戦を目撃、さらにその最期を看取ることとなった。

昭和18年3月3日の八十一号作戦には護衛隊列の右列最先頭を承って参加。

しかし、敵制空権下へ鈍足輸送船団を強行突入させる本作戦は無茶もいいところで、当初から全滅の公算が高いと危惧されていた。

そして白雪や朝潮の項目に詳述されているとおり、その危惧は最悪の形で的中してしまったのだった。

新戦法反跳爆撃の前に、参加輸送船8隻は全滅、護衛駆逐艦も旗艦白雪、時津風、荒潮、さらには救助に引き返した朝潮も戦没。

悪戦苦闘の末どうにか生き残ったのは浦波および敷波、雪風、朝雲のみだった。

本海戦は米側では「ビスマルク海海戦」と呼ばれているが、あまりの無残な結果に日本側は海戦名を付ける事すらできず、一般に「ダンピールの悲劇」と呼ばれている。

なお、本艦の実装により、八十一号作戦参加護衛駆逐艦は全員が揃う事となった。

最期はレイテ沖海戦最中の昭和19年10月26日。

鬼怒と共に輸送作戦を行った帰路、パナイ島付近で栗田艦隊攻撃に向かう途中の米艦載機群と遭遇。

敵機は急遽目標を変更して襲いかかった。

日本の主力艦隊を攻撃する予定の戦力が、わずか2隻に飛びかかったのである。

逃れるすべはなかった。

浦波は直撃弾を浴びて炎上した後、魚雷に引火したか大爆発と共に轟沈した。

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