No.317 | 占守(しむしゅ) | 占守型 1番艦 海防艦 | 声優:咲々木瞳 | |||
艦船ステータス(初期値/最大値) | ||||||
耐久 | 火力 | 装甲 | 雷装 | 回避 | 対空 | 搭載 |
9 | 4 / 18 | 4 / 16 | 0 | 42 / 83 | 7 / 24 | 0 |
対潜 | 速力 | 索敵 | 射程 | 運 | 燃料 | 弾薬 |
32 / 72 | 低速 | 3 / 13 | 短 | 40 / 79 | 10 | 10 |
図鑑説明 | ||||||
沿岸警備や北方漁場警備のために建造された甲型海防艦、その一番艦っす。 千島列島最北端の占守島の名前をもらったっす! 平時には漁場や漁民を守るため、小さい体だけど、大事な役目も証もあったっす。 戦いが厳しくなって、船団護衛や対潜哨戒にも全力っす。 全てが終わった後、みんなを連れて帰るとっても大切な役目も果たしたっす。 占守、その名、きっと憶えてほしいっしゅ。 |
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ヴァイスシュヴァルツ KC/S67-030 占守型海防艦1番艦 占守 (R レア) ブースターパック 艦隊これくしょん -艦これ- 5th Phase
ヴァイスシュヴァルツ KC/S67-038 占守型海防艦2番艦 国後 (C コモン) ブースターパック 艦隊これくしょん -艦これ- 5th Phase
ゲームにおいて (説明はWikipedia』より)
2017年5月2日にイベント「出撃!北東方面 第五艦隊」で先行実装。
同日実装された新艦種「海防艦」に属する艦娘。
同イベントで実装された海防艦には他に国後、択捉がいる。
鎮守府秋刀魚祭2017期間中は、一部通常海域で邂逅可能。
再入手の手段としてはこれが初となる。
また、2018年春の食材集めイベント期間中も、一部通常海域で邂逅可能だった。
占守型は2隻しかいない状態が約2年間続いていた(占守や国後などのボイスでの言及はあった)が、2019年5月21日、イベント「発動!友軍救援「第二次ハワイ作戦」」開始と同時に3番艦の八丈、4番艦の石垣が追加実装され、これを以て占守型4隻が全て出揃った。
駆逐艦と異なり魚雷、缶、タービン、探照灯、照明弾、ドラム缶(輸送用)は装備できない。
雷装値0なので雷撃戦参加不可。
未改造のまるゆに次いで全艦中同率2位の燃費で、遠征要員としても優秀。
先制対潜攻撃も可能なためキラ付けも比較的しやすいが、艦種制限には気を付けたい。
駆逐・軽巡等に比べ対潜先制爆雷攻撃に必要な対潜値のボーダーラインが低く、素対潜+装備対潜が60以上で対潜先制爆雷攻撃を行い始める。
ルート固定での扱いは明記がなければ駆逐と別扱いだが、基本的に駆逐艦と同等が多い。
水上/機動連合艦隊編成時はその他枠として扱われる。
耐久が低く、修理時の艦種倍率が潜水艦と同値の為、修理時間が短い。
語尾が「っす」「っしゅ」と独特。
一部セリフで語尾が「っす」になるのは嵐改がいるが、口癖として「っす」を常用する艦娘はおそらく艦これ初。
同じ位に特徴的なのが「しむしゅしゅしゅっ~」というセリフだが、こちらは福江も梅雨ボイスにて占守のあだ名として使っている事が判明した。
[game-1]小ネタ (説明はWikipedia』より)
千島列島の最東端(本人が言っている「最北端」は誤り)に位置する占守島(しゅむしゅとう)に由来する。
元ネタは欧州の、特に大戦艦を整備するような国力を持たない小国が、沿岸防備を目的に建造した「Coast Defence Ship」である。
「海防艦」はぶっちゃけその直訳。
欧州の海防艦は航洋性を犠牲にして火力と装甲では戦艦に近いレベルにまで発展したものもあり、これらは「海防戦艦」と呼ばれることもあった。
日本が海防艦を艦種として類別・制定したのは1898年3月21日のことである。
主に旧式化して前線に出せなくなった軍艦の余生を飾る称号であり、制定当初は金剛や大和など、初期のスループやコルベット等10隻が類別された。
華々しい航空部隊や大型艦、勇ましく斬り込む駆逐艦などの陰に隠れ、裏方として活躍した艦達である。
占守型の建造目的は「北方海域の警備艦」である。
このため、寒冷地での行動を考慮した特殊な構造や各種設備が設けられた複雑な設計となっていた。
設計はマル3計画遂行で多忙を極めていた艦政本部ではなく、その指導下で三菱重工が行った。
占守型は4隻建造され、2番艦以降は当初予定通り北方警備の任に就き、終戦まで任地を動かなかったが、一番艦「占守」のみ、就役早々南方に配属され、警備任務などに従事している。
1940年6月30日に竣工。
直後の7月15日に第2遣支艦隊に編入された。
これ以降、戦争末期の1945年4月2日に大湊へ派遣されるまで、ずっと南方海域で行動することになった。
北方警備用に設計されたネームシップなのに、南方でばかり活動するはめになったのである。
開戦時は南遣艦隊に所属し、シンガポール進駐第一陣の一隻であった。
戦争中は文字通り休むヒマもなく船団護衛に投入され続け、大小数え切れない数の船団を護った。
1944年10月~12月にかけての多号作戦、すなわち地獄のオルモック輸送には第2次と第4次の2度参加している。
1944年11月25日、マニラ湾口にて浮上潜水艦を発見し攻撃に向かうも、逆に雷撃を受け艦首を破損した。
舞鶴工廠で修理後、ソ連参戦に備えて稚内へ移動する。
千島方面の陸軍部隊を本土決戦に備えての引き上げ作戦と、警備が目的であった。
8月15日の朝に稚内港に入港する。そこで乗組員は終戦を知らされた。
8月17日より19日まで大泊と稚内を往復して、樺太在住の日本人の引き上げを行う。
その後は、復員輸送に従事。
1947年7月5日ナホトカにて賠償艦としてソ連に引き渡される。
この時同時に響、椎、榧、海防艦34号、105号、196号、227号も引き渡された。
ソ連海軍では護衛艦に類別され「EK-31」との名を与えられた。
その後、1948年に通報船へ類別変更され「PS-25」と改名された。
しかし実際の所1947年から1953年までは保管状態となっており、本来の通報船に改造されカムチャッカの艦隊司令部の通信局に配備されたのは1954年になった。
1957年には工作船に改造され「PM-74」とさらに改名された後、1959年5月16日に退役し、解体されたという。
[game-2]占守 艦これ(最新無料動画を楽しみましょう♪)