『涼月』(艦隊これくしょん)の動画を楽しもう!

 

No.332 涼月(すずつき) 秋月型 3番艦 駆逐艦 声優:藤田咲
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久 火力 装甲 雷装 回避 対空 搭載
21 16 / 47 10 / 29 16 / 46 45 / 83 70 / 102 0
対潜 速力 索敵 射程 燃料 弾薬
25 / 61 高速 8 / 27 27 / 67 20 25
図鑑説明
乙型駆逐艦、秋月型、その三番艦、涼月です。
艦隊防空のために生まれました。
何度か大きな損傷を受けましたが、最後の二水戦の一員として大和と共に出撃します。
満身創痍ではありますが、港に戻りました。
ずっと…皆さんを護り続けたい……そう願っています。

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★ヴァイスシュヴァルツ「艦隊これくしょん -艦これ- 5th Phase」(KCS67)収録 ●KC/S67-015 ●カード名:秋月型駆逐艦3番艦 涼月 ●カテゴリー:キャラクター ●色:黄 ●レベル:0 コスト:0 トリガー:0 ●パワー:1000 ソウル:1 ●特徴:《艦娘》・《駆逐艦》 ●テキスト 【自..

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ゲームにおいて (説明はWikipedia』より)

2017年11月19日、捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前篇)にて実装。

イラストと担当声優は2017年9月17日に開催された「第肆回『艦これ』観艦式」にて発表済みで、秋イベにて実装されることも告知されていた。

前例もあるとはいえ、実装前にこれらが公表されるのは非常に珍しい。

改装レベルは、Warspite、大和、神鷹に次ぐ55。

夕立を改二にできるレベルと同じであるほど非常に高いが、秋月型故に十分な防空力を発揮してくれるだろう。

何気に未改造で13号対空電探を持参する初めての艦である。

涼風と間違えて誤解体してしまったという報告が挙がっている。

注意されたし。

長らく秋月型姉妹の中でなぜか唯一10cm高角砲+高射装置の改修ができなかったが、2018年10月26日のアップデートにてようやく改修ができるようになった。

ついでに94式高射装置の改修担当も兼任している。

これで「実は不器用?」疑惑が解消された。

排水量のせいか比較的大人びたデザインの秋月型姉妹だが、その中でも特に姉属性が強い。

妹のことは「お初さん」「お冬さん」と呼んでいる(それぞれ初月、冬月と思われる)。

改の時報では姉のことを「秋月姉さん」と呼んでいることも分かる。

長女曰く、「自慢の妹」である。

涼月と秋月はその生涯ですれ違いを繰り返しており、一緒にいたのは涼月がトラック在泊時に、秋月が修理を終えて戻ってきた1943年12月1日から、12日に涼月、初月が瑞鶴、筑摩を護衛して本土に戻った11日間ぐらい。

翌年8月3日に損傷修理を終えて涼月が訓練している間、秋月が硫黄島への輸送任務を終えて内地に戻り、レイテ沖海戦で出撃する10月19日までの間整備や訓練に勤しんでいた2か月ほどは同じ瀬戸内海にはいた。

その間秋月は佐世保に行ったり尾道に行ったりしていて一緒に行動していた訳ではない。

2018年8月17日に、艦これ第二期スタート記念を兼ねた期間限定グラフィック【水着mode】が実装された。

同年の公式カレンダーで着ているものに似た、シースルーのショートパレオ付き水着の上からグレーのコートを羽織っている。

本人は楽しげな表情だが、傍らの長10cm砲ちゃんはいつもより眼光(?)が鋭いような…。

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[game-1]

小ネタ (説明はWikipedia』より)

秋月型駆逐艦の3番艦。

建造は三菱長崎造船所ですぐ上の姉の照月と一緒。

しかし涼月より4か月ほど早く誕生した姉は涼月竣工の2週間ほど前にソロモン方面で沈められ、共に戦う機会は遂になかった。

またすぐ下の妹で、この後共に行動する事になる 初月(舞鶴海軍工廠で建造)とは竣工日が1942年12月29日と一緒で、双子のような関係であった。

完成した涼月は1943年1月15日に初月と共に第61駆逐隊に編入される。

先に竣工していた長姉秋月と照月で前年10月7日に編成された防空戦闘専門の駆逐隊だが、ソロモン方面の激闘に秋月、照月とも引っ張りだこで、照月が沈むまで遂に一度も2隻揃った事がなかった。

そして涼月らが編入された時も秋月は未だソロモン方面で活動中であり、涼月・初月も3月まで慣熟訓練をしていたので、3隻が揃って行動するのは未だ先であった。

3月22日、訓練を経て涼月は初月、陽炎らと第二航空戦隊(飛鷹、隼鷹)を護衛して出撃し、27日にトラック諸島に到着する。

しかし姉の秋月は1月19日にブーゲンビル島沖で米潜水艦の雷撃で大破し内地帰還中にサイパンに寄港した際に、損傷個所が悪化して船体が6度の傾斜で折れた状態となってしまい、同地で応急修理中でまたも合流する事は叶わなかった。

姉に替わり第61駆逐隊の司令駆逐艦となった涼月は4月以降同方面の輸送任務の護衛を務める。

5月には戦死した山本五十六連合艦隊司令長官の遺骨を内地に運ぶ任務を帯びた同じドック生まれの戦艦武蔵の護衛を務める。

6月には第十戦隊旗艦も務めている。

10月31日、修理のなった秋月が第61駆逐隊に再編入され12月に合流、漸く涼月、初月は長姉と出会うことが出来た。

6月には妹の若月(未実装)も合流していたので、漸く第61駆逐隊は本来の4隻体制となる。

だが翌1944年1月、涼月に大きな危機が訪れる。

1944年1月16日、第2回ウェーク島輸送に赤城丸の護衛として参加した際、高知・沖ノ島西方で米潜水艦スタージョンの雷撃を受け2本が命中。

輸送作戦は直ちに中止となり、生き残った涼月の中央部は初月に曳航され、なんとか宿毛湾に避難する。

その後電纜敷設船や漁船の助けも借りつつ呉に入港した。

この損害により涼月は6月に発生したマリアナ沖海戦に参加する事は出来なかった。

7月10日に再竣役後、瀬戸内海で訓練を行い、10月16日に若月と共に台湾へ第三航空戦隊の基地物品の輸送任務の際、さらなる試練が訪れた。

折悪しく当時は台湾沖航空戦の真っ最中で、さらに計画では一番危険な豊後水道を荒天下、夜間に通過しなければならない。

案の定と言うか10月16日、宮崎県都井岬沖で米潜水艦ベスゴの雷撃を受け2発が命中。

新造したばかりの艦首の舳先から一番砲塔のすぐ前までの部分が無残にもぎ取られ、復帰後初の任務でドックへ逆戻りする羽目になった。

駆逐艦にとって一発轟沈でもおかしくない深手を2度も負いつつ、その度ごとに不死鳥のごとく甦った涼月。

この頃から乗員たちの間では「本艦は決して沈まない」「涼月は不沈艦である」という噂が、誰言うともなしに囁かれるようになったという。

涼月の不運はこれだけではなかった。

期しくもこの日、米軍の大部隊がレイテ島に来襲し、湾口にあるスルアン島が占領され、これを機に所謂「レイテ沖海戦」が発生する。

この海戦に艦首を失って修理中の涼月は参戦する事が出来ず、マリアナ沖海戦同様決戦に参加できずドックで過ごす羽目になってしまう。

そしてこれが第61駆逐隊の姉妹達との最後の別れとなった。

残された涼月は修理を終え、11月15日、9月に開隊されたばかりの、秋月型によって構成されたもう一つの駆逐隊である「第41駆逐隊」に編入される。

こうして涼月は冬月と隊を構成し、第十戦隊の解隊により第二水雷戦隊に異動となる。

11月21日にマニラに向かう空母隼鷹を護衛、その帰路には戦艦榛名も加わるが、12月9日に隼鷹が被雷する。

その後は守るべき空母もなく瀬戸内海で訓練に明け暮れていたが、1945年3月末に米軍が沖縄に侵攻。

沖縄戦が開始されるとともに、天一号作戦が発動した。

これを受けて戦艦大和以下の残存艦艇による突入作戦が決定、涼月の第41駆逐隊もこれに参加する事になる。

涼月は磯風や冬月たちと同様、煙突に菊水の紋を描き込んで坊ノ岬沖海戦に臨んだ。

大和沈没後、臨時の艦隊旗艦(第41駆逐隊司令・吉田正義大佐が指揮)となった冬月は「沖縄に突入しよう」と尚も沖縄突入を諦めなかった雪風の寺内正道艦長の上申を却下し、作戦中止を決断した。

一方涼月でも、通信不能のためこの命令は受信できなかったものの、もはや戦闘不可能であることから単艦帰還を決断していた。

悪戦苦闘一昼夜、漁船に付き添われた涼月は、よろめくように佐世保軍港へとたどり着いた。

帰還は果たしたものの、日本には一駆逐艦を修理する余裕すらすでに無く、そして修理できたとしても、動くための燃料も、彼女が守るべき艦隊ももはや存在しなかった。

巨大な破孔は補強しただけで塞がれず、繋留中沈まない程度の最低限の応急修理が施され、前部の1・2番砲塔や機銃群も撤去された。

痛々しい姿のまま、佐世保西部の相浦に係留され防空砲台として使用され、7月には第四予備艦に指定された。

終戦後、彼女は損傷があまりに激しいため修復を断念され、復員輸送には従事できなかった。

1945年11月20日除籍。

1948年4月から5月にかけて上部構造物を解体撤去された涼月には、福岡県若松港の防波堤という新たな任務が与えられた。

冬月、そして旧式で練習船になっていた桃型駆逐艦柳とともに土砂や岩石を詰め込まれ、さらにコンクリートで周囲を固められ沈設、その波乱の生涯を終えた。

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[game-2]

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