『サラトガ』(艦隊これくしょん)の動画を楽しもう!

 

No.233 Saratoga(サラトガ) Lexington級 2番艦 正規空母 声優:伊藤静
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久 火力 装甲 雷装 回避 対空 搭載
83 30 / 45 40 / 63 0/span> 21 / 42 36 / 73 80
対潜 速力 索敵 射程 燃料 弾薬
0 高速 40 / 68 25 / 75 65 70
図鑑説明
Hello! アメリカ生まれの大型正規空母Saratogaです。
歴史深い由緒ある名前を頂いています。
あの大きな戦いでは、最初から最後まで頑張ったんです。
戦いの終わったあと、Nagatoさんたちと一緒にある実験に参加しました。
これからSaraも皆さんと同じ艦隊で、頑張らせてくださいね!

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ゲームにおいて (説明はWikipedia』より)

2016年11月19日実装。

2016年秋イベント発令!艦隊作戦第三法最終海域E-5突破報酬。

その後、2018年冬イベントの最終海域E-7のXマスでドロップ報告がある。

射程中、夜戦で砲撃など、Graf Zeppelinと同じ特徴を持つ。

これらの特徴のうち、前者は改造すると主砲が小さくなるせいで無くなってしまうが、2度目の改造、及びそのコンバート改装で復活する。

後者については、改以降は砲撃による夜戦は出来なくなるが、Saratoga Mk.IIのみ夜間戦闘機か夜戦攻撃機のいずれかだけで夜間航空攻撃が可能となる(他は夜間作戦航空要員も必要)。

OTO副砲2個、村田隊2個で夜戦火力110×2の連撃となる。

主砲口径はこっちの方がでかいのにGraf Zeppelin改よりも火力が……。

夜戦火力は香取型姉妹や(島風を除いた)未改造駆逐艦と同程度のため、重巡以上の敵艦を仕留める事はかなり難しい。

随伴の駆逐艦程度は倒せるが基本的に夜戦での砲撃はおまけ程度と考えた方がよいだろう。

艦載機は「搭載:80」の「27/19/19/15」とかなりの大容量を誇る。

2017年9月12日アップデートで「正規空母一隻の改二実装」が予告され、ランカー報酬で配布された装備(F6F-3N、F6F-5Nを参照)や、コンプティーク2017年10月号で「夜戦空母で運用することで、その真価を発揮していきます」とコメントされていたこと、史実で大戦末期に作戦用夜戦空母として合流したことなどから、改二に相当するMk.IIが実装されるに至った。

しずま艦では、長門改二以来となる2隻目の改二である。

レキシントン級空母の特徴である大きな煙突を象った彼女の髪飾りには、黒いラインに白字で「E」が描かれている。

艤装の後部には「SARA」の文字があるが、これも実際にレキシントンとの識別用に書かれていたものである。

彼女が持つ飛行甲板は、「トミーガン」の綽名で知られるトンプソン短機関銃がモデルとなっている。

艦これスタイル参の公式設定資料によると、M1928の米海軍モデルがベースになっているとのこと。

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[game-1]

小ネタ (説明はWikipedia』より)

レキシントン級航空母艦2番艦。艦番号は「CV-3」。

第二次世界大戦におけるアメリカ海軍最大の航空母艦。

極初期に建造された旧式艦でありながら空母としての完成度は非常に高く、すでに近代的空母の要件をほぼ満たしていたと評される。

1927年11月竣工のサラトガは、艦これ実装済みの空母カテゴリーにおいては鳳翔(1922年12月)、赤城(1927年3月)に次ぐ三番目の古参艦である。

実は一番艦のレキシントン(1927年12月)よりも早いため、今後イギリス海軍の旧式空母および、アメリカ海軍初の空母ラングレーが実装されない限り不動となるだろう。

生涯において延べ98,549機もの艦載機が着艦した。

これは空母の最多着艦記録である。

艦名は米独立戦争の「サラトガの戦い」(1777年)から。

この戦いは装備に劣る米側が勝利することで英軍に対抗できる実力があることを示しただけでなく、フランスが米側について参戦する契機となった。

日本人にとっての太平洋戦争というと、一般にはアメリカの物量に一方的に押し潰された戦いというイメージが強いが、それは真珠湾で恐怖と怒りを呼び起こされ大慌てで発案したアメリカの兵器大増産戦略が結実する大戦後期の話であり、真珠湾~南太平洋くらいまでは大国アメリカであっても「配られたカードで勝負するしかない」状態だった。

そして真珠湾で多くの戦艦を戦闘不能にされたアメリカにとって、レキシントン級・ヨークタウン級といった大型空母はなけなしの切り札であり、緒戦を持ちこたえ、日本軍の短期決戦戦略を頓挫させる一因をもたらした、値千金の功労者だったと言える。

即ち、真珠湾後の再建途上にありながら日本海軍と対峙することを余儀なくされるという、総崩れギリギリの非常に旗色が悪い状勢であっても決して彼女らを出し惜しみせず、むしろドーリットル空襲に代表される、空母の長所を可能な限り活かしきる一撃離脱戦法を継続した。

そんな米海軍機動部隊は日本にとって悩ましい存在であり、これを一挙に撃滅すべく連合艦隊司令部がミッドウェー作戦を発動することになったのである。

太平洋戦争開戦時、太平洋艦隊に所属していた3隻の空母のうちの1隻。

開戦の翌日にハワイに向けて出港、ウェーク島の海兵隊へのF2Aバッファロー戦闘機18機の輸送の命令を受ける。

しかし途中で荒天にあい、護衛の駆逐艦の燃料が不安になったオーブレイ・W・フィッチ少将は作戦を中止し引き返した。

「フィッチ少将は意気地なし」という噂が広がると共に、サラトガも「ファイトに欠ける空母」という目で見られることになった。

これがサラトガへのケチのつきはじめであった。

ミッドウェー海戦では、サラトガ所属航空隊が珊瑚海海戦で飛行隊を喪失したヨークタウンに搭載され活躍した。

しかしその代償に爆撃隊と雷撃隊が壊滅してしまい、以降再建までヨークタウンやホーネットからの寄せ集めで編成することになる。

1942年末に再び戦線に復帰し、翌年には本格的な修理と改装のため前線を退いたエンタープライズに替わって、ソロモン海域で唯一の米正規空母として機動部隊再建までの戦線を支え続けた。

大戦後半にはエセックス級以下、新鋭空母群の大量就役を受けて二線級化するも、巨大なキャパシティは相変わらずで、新たに油圧カタパルトも設置、ハワイで夜戦空母の訓練部隊として活動することに。

1945年1月、サラトガはミッチャー中将率いる第58機動部隊に作戦用夜戦空母として合流する。

かつてサラトガに初着艦した飛行長は、最強の艦隊を率いる中将になっていた。

硫黄島攻略作戦を支援するため、1945年2月16日と17日、関東地方を空襲する。

迎撃する日本陸海軍航空隊と大航空戦が行われた。

この時千葉県・茂原基地の252空戦闘311飛行隊所属の岩本徹三少尉も出撃した。

そして硫黄島攻略戦。

日本が繰り出した特攻機の集中攻撃を受けて大損傷。

沈没は免れるも、今度こそ戦線復帰はならなかった。

その後、自力でピュージェット・サウンド海軍造船所に3月16日に帰還、3ヶ月で修理は終わった。

その後は前線に戻ることはなく、ハワイにて練習用空母となった。

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[game-2]

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